「東テューリンゲン新聞記事 日本語訳」

ドイツの東テューリンゲン新聞に、小森の大きなインタビュー記事が掲載されました。週末版の一面全面の記事で、2月初旬に受けたインタビューによるものです。

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都会のスピードには馴れました

宮廷歌手の小森輝彦氏は先シーズンをもって彼の故郷である日本に帰りました。
今、彼の経験について、Dr. タチアーナ・メーナーによるインタビューです。

(写真:日本の新国立劇場公演「タンホイザー」の舞台での小森輝彦氏。撮影:三枝近志)


(メーナー)あなたは10年以上にわたってテアター&フィルハーモニー・テューリンゲン(アルテンブルク・ゲラ市立歌劇場の別名)の専属歌手として歌い、先シーズンの終わりを持って日本にお帰りになりました。もう日本には馴れましたか?

(小森)はい、そう言って良いと思います。東京という街のスピードに乗れるかどうか、不安がありましたが、段々出来るようになりました。それでもテューリンゲンの居心地の良い雰囲気は今でも好きです。

(メーナー)ドイツでの長い生活のあと、故郷は違って見えますか?

(小森)そうですね。それはゲラ市に住んでいる間に一時帰国した際にすでに感じていました。日本とドイツの違いについては我々はしっかりと考えて見ないといけません。私は妻とほとんど毎日これについて話しています。このテーマを消化するまでには何年もかかるでしょう。

(メーナー)芸術家としては日本に戻ってからどんな舞台がありましたか?

(小森)帰国以来多くの舞台がすでにあり、これからもそれは続きます。これについてはとても満足し、感謝しています。帰国後の最初の舞台は「さまよえるオランダ人」の演奏会形式のコンサートでした。そのあとプフィツナーとR.シュトラウスのオーケストラ歌曲のコンサートが続き、「美しき水車小屋」の歌曲の夕べ、何度かベートーベンの第九交響曲がありました。今は新国立劇場で「タンホイザー」の公演中で、タンホイザーを歌うスティー・アナセンなどのスター歌手と共に舞台に立っています。僕が歌っているのはビーテロルフですが、舞台の上で非常に居心地が良いのです。というのは、このタンホイザーがテューリンゲンを舞台にしているからです。
ちょうど「マクベス」の稽古も始まったところですが、僕は2013年は6つのオペラのプロダクションに出演し、大学で後進の指導にもあたります。

(メーナー)あなたがドイツで得た経験は、どんな風に役に立つのですか?

(小森)ドイツでの経験はすでに僕の血となり肉となっています。僕自身はあまりそれを意識しないのですが、日本人の歌手と違うと言われる事があります。フレージング、表現、発音・・・。でもこういうのうちどの部分が本当にドイツ生活の成果なのかは、今の私にはあまりはっきり感じたり判断することが出来ません。

(メーナー)あなたは祖国での津波と原発の災害が起こったあとに日本に帰ることを決断しました。この特殊な状況の中での祖国と祖国の人々を、あなたはどの様に見ますか。

(小森)とにかく打ちのめされ、揺さぶられたのです。でも今、多くの人が前を見ることが出来ているように思えます。私自身は被災地に関係のある一つのプロジェクトに参加する予定があります。「遠い帆」という日本のオペラです。私が演じるのは主役の支倉常長で、この人は江戸時代にローマに旅した、日本におけるキリスト教にとって重要な人物です。この作品は史実に基づいており、こういう機会を得られたことをとても嬉しく思っています。

(メーナー)東テューリンゲンのもので懐かしいものはありますか?

(小森)ニーブラ(ゲラ近郊の村)の森とテューリンゲンのソーセージですね。喜ばしいことに、僕はケストリッツァー(ゲラの隣町で造られているビール)が飲めるレストランを見つけることが出来ました。家から3分のところにあるのです。信じられますか?しかし、私が本当に懐かしく思っているのは「平穏」です。

(メーナー)あなたが所属した劇場、あなたはその宮廷歌手であるわけですが、その活動ぶりを知る機会はありますか?

(小森)フェイスブックというもののおかげもあって、かなりリアルタイムでゲラとアルテンブルクの劇場で何が起きているかを知ることが出来ます。オペラ「ウェルテル」が大成功だったと聞いて、とても嬉しかったです。私の知人は、1月1日のバレエ・ガラが如何に素晴らしかったかを知らせてくれました。また最近、ドレスデン聖十字架合唱団への市の援助金が減らされることに反対する署名運動にも参加しました。時間があるときは、私の第二の故郷で何が起こっているのかを追っていくことは、かなり出来ますね。

(メーナー)あなたの12歳の息子の健登君は、今までの人生のほとんどをゲラで過ごしました。帰国後、彼はどの様に過ごしていますか?

(小森)息子にとっては、東京に馴れるのは難しい部分があったと思います。とはいえ、彼はいつも楽しそうにしています。漢字の勉強はドイツでもやっていましたが、同年代の子どもと同じペースでは出来ていませんでした。漢字というのはもともとは中国の文字で、日本語にもかかせないものです。我々は3000文字以上の漢字を学ばなくてはなりません。息子は今東京では土曜日も学校に通っていて、日常のリズムも少し違います。彼はとにかくこれに馴れなくてはいけないと言うことです。
一度、疲れが溜まってしまって具合が悪くなったことがありました。そんな時も彼は何が何でも学校に行こうとして、学校を休んで家にいなくてはいけない事をとても怒っていました。
これもインターネットのおかげですが、スカイプという便利なもののおかげで、ゲラでのクラスメートと話すことが出来ます。これは息子のドイツ語力が保たれるためにも良いことです。