「マットゥスさんと再会」


映画化されたことでも知られている、ミヒャエル・エンデの小説「終わりのない物語」(映画のタイトルはネバー・エンディング・ストーリー)のオペラ版が登場しました。

ここゲラから70kmくらいのヴァイマール市で初演されて、大成功を納めたようです。作曲は、僕も親しくさせていただいているジークフリート・マットゥス氏。いままでも数々のオペラを含む作品を発表し、どれもが高い評価を得ているすばらしい作曲家であり、誰もが知る音楽界の重鎮です。
写真はそのヴァイマールのオペラハウスのHPから。

マットゥス氏は、ベルリン郊外のラインスベルク城で毎年夏に行われる、若きオペ...


ラ歌手の登竜門「ラインスベルク音楽祭」の主催者でもあります。
僕もこのラインスベルクとは切っても切れない関係で、2000年にゲラでの生活がスタートするときに、一人でドイツに来てまず歌ったのがラインスベルク音楽祭のフィナーレを飾る「ラインスベルクからメトへ」というガラ・コンサートでした。
メトというのはメトロポリタンオペラのことね。つまり、ここから巣立った人が世界中で歌っているので、いわゆる「卒業生」を集めてガラ・コンサートを行ったわけです。
このガラ・コンサートでは、なんと僕はトリをつとめたんですね。いま考えると暴挙だったような気もするけど。そうそうたるメンバーでしたからね。例えばこの間の新国立劇場の「フィガロの結婚」でフィガロを歌ったバリトンもいました。彼は「さまよえるオランダ人」のアリアと「オテロ」のヤーゴのアリアを歌っていましたね。僕が歌ったのは、おきまりのリゴレットと、「トロヴァトーレ」からルーナ伯爵のアリア、そして最後にルーナ伯爵とレオノーラの二重唱でした。

話がそれた。まぁとにかくラインスベルクにはよく呼んでもらって、ゲラの契約が取れたのも、ラインスベルクの別のコンサートで歌っていたときに、ゲラの音楽監督就任予定だった指揮者が僕を聴いてくれて気に入ってくれたからなのです。このときもアリアばっかりよく歌ったよなぁ。マットゥスさんは僕が就職活動中なのを知っていて、この指揮者が僕を聴くようにうまく取りはからってくれたのです。感謝。

またそれた。
で、マットゥス氏。明日から三日間ゲラとアルテンブルクのフィルハーモニー・コンサートを指揮します。メンデルスゾーンの歌曲をオケ版にしたものと、最初に書いたマットゥス氏自信の作品「終わりのない物語」のやはりオーケストラ・バージョン。

本当はこの話、日曜のところに書こうと思ったんだけど、時間がなかった。日曜日にブラスのコンサートに健登と一緒に行ったんだけど、マットゥスさんも来ていたのです。先週からコンサートの稽古をつけていましたのでね。
コンサートか稽古かに会いに行こうと思っていたのですが、思わぬ再会。健登の事は話していたけど会わせたことはなかったので、健登の顔も見せられてよかった。マットゥス氏はずいぶん僕の評判をオケの人から聞いたらしく、僕がゲラで充実した仕事をしていることをとても喜んでくれていました。

で、コンサートを一緒に聴いた。作曲家であるマットゥスさんが来ている時点でもうちょっと考えればよかったんだけど、ほとんどが現代音楽で、初演ものも多いプログラムでした。バッハの名前があったので、そんな風には考えていなかった。
当然3歳児にはつらいわな。バッハはもうファゴットを食い入るように見つめて、じーっと聴いていたんだけど、現代音楽になったとたんに「ぱぱ、いつ終わるの?」「じかんかかるね」といいだしたので、3曲目が終わったところで退散しました。まぁファゴットを見つめていたのは、吹いていたのが幼稚園の友達のパパであることも関係あるけど。
ほかのお客さんは、「子供を連れてくるようなプログラムじゃないのに」って、最初から考えていたんだろうな。ポスターをよく見なさい!ってかんじでした。
2004年4月27日(火)スクリプトで読み込み