「CDの販売をはじめました」


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サイトでのCD販売は、ずいぶん前に予告していたにもかかわらず、今になってしまってすいませんでした。お問い合わせやサイトでの販売をリクエストして下さった皆さん、大変お待たせしました。
両方とも、夏のデュオ・リサイタルでも販売して大変好評だったCDです。あのときは僕の予想に反して歌曲の夕べのCDの方が売り切れちゃったんですよね。もっと枚数を用意しておくべきでした。すいません。

僕の方のミスで、問い合わせ下さった方の内の一人の連絡先がわからなくなってしまったのですが・・・HPを見てくださることを祈ります。申し訳ありませんでした。
 
ラインスベルク音楽祭のCDの方は、録音の頃の日記 があります。オーケストラに日本人の、しかも芸大時代に共演したことのあるオーボエ奏者がいらして、再会を喜んだのでした。このCD、時間的にはかなり突貫工事で録音をしたんだけど、出来は良いと思います。僕だけじゃなくて、他にヨーロッパの若手の声も聴けるし、是非聴いていただきたいです。
 
アルテンブルク市立劇場での歌曲の夕べは、同プログラムで先月チャリティーコンサートをやりました。久しぶりにこっちの録音を聞き返してみると、やはり微妙に演奏がかわっているのが面白いです。あれは「Im wunderschönen Monat Mai」(美しき五月に」をまさに五月に歌ったわけだから、特別な意味合いがあるようにも思いますね。(そのときの日記はこちら )
技術的にもずいぶんかわってきているんですよね。まぁこれは歌手は誰でもそうなのかもしれないけど、僕は自分がこの変化の幅とか頻度が大きい気がするな。良いことか悪いことかわかりませんが。この1年で3回詩人の恋を歌っているわけで・・・あ、3月と4月にも歌うので1年で5回歌うことになるんだ。・・・これはやっぱり、自分の変化を映す鏡、それを観察するという意味では絶好の機会ですね。
解釈的にも技術的に慣れてきて、それで楽になっていることはもちろんですが、やっぱりそれだけじゃないですね。
 
詩人の恋の11曲目、「ある若者が娘に恋をして/Ein Jüngling liebt ein Mädchen」は2002年に歌ったときはしっくり来ていなくて、去年色々考えて少し企んだんですね。これは、恋する若者Aが好きな娘にふられただけじゃなくて、その娘が自分のお目当ての男性Bに振られた腹いせに行きがかりの男性Cをつかまえて結婚してしまい、元の若者Aは困ってしまう、というお話。そして、「これは『お話し』だけど、事実として繰り返される。そしてそのときには当事者の若者の心は張り裂けてしまうんだ」というおちの付き方なんですが、音楽がまた「見せかけの陽気さ」に満ちている。
ハイネの重いアイロニーを表現するには、日本人のセンスでそのまま行くと、重くなりすぎて、聴き手にするとべったりしすぎる感じもするんですが、からっと歌い過ごしてしまうのも抵抗があります。
全く語りのように、人ごととして演奏するパターンが多いように僕は感じていますが、どうもそれをしたくなくて、「Ich」(自己)を常に存在させたかったんです。で、人ごととして語っていくうちに、全く自分がその状況に描かれているそのままの若者であることにぎょっとして(単に気づくというのでなく)最後はほとんど声にならない、という感じでトライしていました。
夏の東京での、服部容子さんとのデュオ・リサイタルでは、かなりうまくいったような気がするけど、1月は少し表現の振幅を控えめにしてみました。これも悪くなかったと思う。控えめに語る方が雄弁というのは、よくあることなんですよね。面白いです。